鈴木勝吾のいくつかのターニングポイント
最初から飛ばしてるけどたぶんメモ書き程度。
私が勝手に考えている鈴木勝吾の役者人生におけるターニングポイントはいくつかある。なお当人がどう考えているかは全く別で、外野のファンからみたターニングポイントなのであしからず。
1 シンケンジャー
2 ココア男。
3 ミュージカル薄桜鬼
4 ロボ・ロボ
5 カラーオブライフ
7 ミュージカルスタミュ
そしてそれらのターニングポイントのミッションをこなした結果が、
ミュージカル憂国のモリアーティだったんじゃないかと思っている。
2009年放映。いわずとしれたデビュー作。いまメディアで鈴木勝吾を説明するとしたら、シンケンジャー抜きでは語れない。全国ネットは強い。
DVD売り上げとか、Gロッソのとれなさっぷりとか、ルパパトがくるまでいろんな記録を持っていた人気戦隊。
むろんそのキャストも大人気だった。そういう意味では、鈴木勝吾の人気絶頂期ともいえる。
当時現役大学生だった鈴木勝吾は、完全パリピキャラだったらしい。
2ココア男。
2010~2012年。番組主導なんちゃってバンドの、ギター担当。初めのころは完全にあてぶりだった。
2年の活動期間のうち、深夜ドラマとかがあったのは1年目だけどバラエティは2年目に盛んで、曲調、衣装にココア男。らしさがでたのは2年目。すでに解散7年がたっているけど、メンバーはまだまだ仲がよい。ココアのメンバーが写真をとると、いつもココア男トレードマークの手(ココアのマグカップを持っているような手。由来はどうだか覚えてない)をしている。
2015年に復活ライブ。
この期間は、ドラマちょろっと、映画ぽつぽつという感じの出演。
初舞台、大黒摩季源氏は、2010年秋なのでココア男の時期。
鈴木勝吾にとって、このココア男。の時期は、俳優のキャリアとしてはまちがいなく回り道だったけれど、俳優として生き残るためには必須の振る舞いをみにつけたと思う。
それは、協調性と段取り。お客様ファースト。
鎌苅健太という強烈にリーダーシップをとれるリードボーカルを中心とした活動。正直なんちゃってバンドだったせいで、演奏よりもトークのイベントが多かった。その分トークスキルは確実に上がった。メンバーに、場を回し、かつもりあげるのにたけた鎌苅健太、米原幸祐の二名がいたことも大きい。彼らはとにかく面倒見がよかった。トークに参加しない、マイクをすぐに口から離す他のメンバーをいちいち注意し、「しつけ」た。
勝吾くんがまがりなりにも、イベントで場を仕切ったり、段取りよくものごとを進めたり、とっさのときにイベントで切り返せるのはこのときの薫陶がでかいと思う。
すくなくとも、シンケンジャー時代にはまずないことで、そもそもインタビューでもその片鱗が現れてる(好きなものしか食べたくないとか)ように、本来の彼はかなりの自由人。
だが、イベント時に、ぐだぐだしてお客様を待たせたり、しらけさせるのはよくないと骨身にしみているんじゃないかと思う。彼の気配りは、とくにイベントゲスト(主役でないとき)に発揮される。普通だったらいやがることでも、自分が盛り上げ役と判断するとすぐにはじめる(あるいは代替のことをやる)。あの決断力は、まちがいなくココア男。でつちかわれたものだと思う。
続く。